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NEET株式会社のアラサー男子が人生について考えてみた

NEET株式会社のスクイッドが人生に役立ちそうなことについて綴ります

ブログ移転のお知らせ

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最後の更新から約3か月が経過していました。

もともと、このブログはサブブログとして気ままに書いていました。

それで、当面は更新しないと思ったので、自身が更新を続けているブログを載せておきます。

 

こちらはNEET株式会社での活動として書いているブログです。

 


心理学や生き方、働き方などが中心になっています。

ジャンルは幅広く、たまにスピリチュアルについても取り上げています。

 

そして、こちらがスピリチュアルなテーマを中心に書くために始めたブログです。

 

 

NEET株式会社のメンバーとしてのブログでは、がっつりとスピリチュアルなことは書きづらいと感じていました。

そのため、上記のブログを立ち上げた次第です。

 

僕自身の考えとして、心身の健康+スピリチュアルな要素のバランスが取れるほど、満足度の高い生活につながると感じています。

そのため、心理学+スピリチュアルというテーマになりました。

 

しばらく更新が途絶えますが、他のブログも見ていただけたら幸いです。

これまでご覧いただき、ありがとうございました。

どちらにするか悩んだ時は立ち止まってみよう

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少し前に石原加受子さんの本を手に取った時、けっこういいことが書いてあった。

AかBかのどちらかで悩む時、どちらかにしなければとなっている時点で落とし穴にハマっている。

こんな感じの内容だった。


認知行動療法に出てくる思考の歪みの一つに、「白黒思考」というものがある。

言葉通り、物事を白か黒かのどちらかに振り分けようとする考え方だ。

 

今の仕事を続けるか続けないか、学校に行くか休むか、○○をやるかやらないか・・・例えをあげればたくさん出てくる。

このような選択は日常的に思えるものの、二択で何かを決めようとする時、息苦しさみたいなものを感じることもあるんじゃないだろうか。

そういう時こそ、距離を置いて冷静に考えると適切な選択がしやすくなる

 

仕事であれば、今とは別の仕事、同じ職種でちがう環境、正社員以外に契約社員派遣社員など、選択肢が二択ではないことが分かる。

学校も学ぶ気持ちさえあれば、どんなルートを通ってもだいたい何とかなる。

僕自身、高卒であることにコンプレックスを抱いた時期もあったが、人生においてそこまで重要ではないと考えている。


ところで、「二つの中から選ばなければいけない」という思考には、どんな背景が考えられるだろう?


おそらく、子どもから大人になるまでの間に自由な選択肢が与えられないことが影響しているように思う。

進路は学力に応じて選ばなければいけないし、人生を左右することでさえもタイムリミットが迫る。

そんなことが繰り返されれば、客観的かつ冷静な判断力が養われる可能性は低いだろう。

 

それでも、様々な条件や影響がある前提の中で、自分にとって何がベストか考えることは無駄ではないと思う。

そして、どうしたいのか、何がしたいのかを考える時に、二択に陥らないことは大切なことだと考える。


僕自身、何かを決める時に早く決めて楽になりたいと思うこともあるので、思考の中に「保留フォルダ」を設けるようにしている。

決断に迷いが生じた時は、ひとまずここに入れて様子を見る。

重要でなければそのままだし、何か用事があれば引っ張ることになる。


このフォルダは、人間関係で相手の人柄を判断しかねる時にも役立ったりする。

そうすることで、一方的な決めつけが減るというメリットが生まれる。

例外として、直感が囁きかけた時は直感のアドバイスに乗っかってみるのもありだと思う。それはジャンルを問わず言えることだ。

 

もう一つブログを書いています!

アメブロの方が更新頻度が高めです。

楽観と悲観のメカニズムについて

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読書欲が高まったので、キンドルアンリミテッドに再入会してみた。

ラインナップの中で、マーティン・セリグマン大先生の「オプティミストはなぜ成功するのか」という本を見かけて読んでみた。

その中で示唆に富むことが書かれていたので、シェアを兼ねて記事にしてみる。

 

楽観主義と悲観主義

 

実はこの本を読むまで、オプティミズムとペシミズムの意味を知らなかったw

これらは、タイトル通りのことを指すわけだが(照)


悲観主義の場合、物事を否定的に捉え、ネガティブなフィルターをかけやすい傾向が見られる。

例えば、「わたしは必ず人を不愉快にさせる」、「誰も自分のことを好きになるはずなどない」。

あるいは、「旅行に行こうとするとよく雨が降る。わたしが雨女だからだ。ほら、週末の予報も降水確率が高い」みたいなw


こういった否定的な連続性を持つ特徴があるように思う。

「全ての事象に自分の責任がつながっており、悪いことは全て自分のせい」といった考え方と表現すると伝わりやすいだろうか。

 

はたして、そういった傾向というのは、生まれた時から見られたのか、そうでないのか。

すべてのケースを網羅しているわけではないので、今回は個人的な仮説として書き記すことにしよう。

 

おそらく、幼い頃はそこまで悲観的ではなかったのではないかという切り口から始めていく。

自分のせいだと後ろ向きに物事を考える赤ん坊、あるいは乳幼児がいたとしたら、現実的ではないことに気づくと思う。

そして、悲観的傾向というのは年齢を重ねるにつれて、強まる部分もあるのではないだろうか(当然そうでないケースもある)。


順番に説明していくと、まずは何かを自分のせいにされたとする。

親の不機嫌、学校でのトラブル、友だちとの人間関係。

誰しも経験しそうなことを幅広くとらえてもらってかまわない。


もちろん、その人は反論や否定の意思を示すか、自分の正当性を主張するだろう。

しかし、それが却下され、繰り返しその人のせいにされることがあったり、理不尽な反撃を受ければ、最終的に屈伏せざるを得ないことになるはずだ。

ここが大きなポイントとなる。

 

最初は自分のせいだと思わなかったのに、意思表明が無意味だと悟ったことで、いつの間にか何でもかんでも自分のせいだと思うようになってしまう。

これがいわゆる、「学習性無力感」というやつなんだろう。


よくよく考えてみると、元を辿っていくと、何でもかんでも本人のせいではなかったことが分かる。

親の不機嫌はさいたる例であり、自分たちで作っておいて気に入らなければキレるというのは、理不尽以外の何ものでもないと思うw


傍から見るとおかしな話なのに、本人が呪縛から解き放たれていないという事実がある。

これは自分自身を客観的に見ることが難しい側面が関係している。

 

なにも気にしないのは愚か者


ここで少し話題を変えてみる。

同じ経緯で家入一真さんの本を読んだ時、「何も気にしないのはただの愚か者」という一行を読んで納得してしまった。

気にしちゃう人、悩んじゃう人、考えちゃう人に消極的な性質が見られるとしても、気にしなさすぎるのも考えものということだ。


やはり、何事もバランスが大事である。

だからこそ、気にしすぎてしまう状態から、ちょっと気にするぐらいまで緩やかな状態にできれば、それなりに日々をすごしやすくなりそうではないだろうか。


本文から引用すると、「悪いことは長く続き、自分は何をやってもうまくいかないだろうし、それは自分が悪いからだ」(悲観主義の特徴)。

このように考えてしまう状態から、

物事の原因はケースバイケースであり、勝つこともあれば負けることもあるというふうに幅を持たせることができれば、気持ちが楽になることもあるだろう。

 

自分が悪くないのに、他人から責められると何だか罪悪感を覚える。

時にはそんなことがあるかもしれない。

しかし、パーソナリティの悩みや漠然とした迷いを感じる人の話を聞くと、すでにできていることや美徳と呼んでいい行動が見られることが少なくない。


悲観的すぎるのもしんどくなってしまうが、多少は自己を省みることは悪くないと考えている。

まったく反省しない人がいるとしたら、信頼を寄せられる人物と言えるかどうかは疑問が残る。

自分の至らなさをどうにかしようとするのも、美徳といってもよいのかもしれない。

 

 

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こっちの方が頻度が高めです。